昭和40年04月05日 夜の御理解
今日ちょうどお昼、私がさがらして頂くちょっと前でした。桜井先生がみえられた。先日からちょうど23日のお御霊様のお祭りの明くる日かあくる日だったでしょう。みえられました。いよいよ桜井先生の一つの難儀をここでいうなら訴えられる訳なんです。ね、ですから私も、私の、本気であなたの信心のやり直さなければならん時期がきておるのだから打ち込みなさい。
為には、その為には、私はあなたに対してこういう思いをもっておるという、それこそ桜井先生にだけしか打ち明けられない事を私打ち明けて、そのことの決心を求めたんです。それっきりみえないんですね。そして今日みえられたんです。そして先日からお話を頂いておりました様に決心がつきました。どうぞここで本気で修行させて下さいとこういう。ところが私は、今日申しました。
御心眼にあのしばらくというあの歌舞の18番のそこにポスタ-のあれがでたんです。柱の入り口に大きな【】しばらくの絵ですけれども、しばらく人形を頂くんですねえ。私の気持ちもそうだったし、だからまあ。ちょっと待って下さい。あの時ならです。おそらく私あの時、明くる日、でなかったらその翌日あなたがみえると私は思うとった。私は、誰にも話さんけど家内にだけ話して桜井先生がみえる。
桜井先生がここに修行にみえるという事は、ねえ実をいうたら私は、大英断なんですよと。今の例えばここに教会設置問題なんかのデリケ-トな問題のある時にです、これは親教会に対したって福岡に対したってですね、それこそこればっかりは、親先生がですね、私の顔をつぶしたと親先生に私は、言われても仕方ない事なんです。けれどもです。けれどもここに桜井先生が一人助かられるという事がです、又次の多くの人が助かることの元になるのならばです。
私は、あえて教会設置が遅れるとか、もし出来なくても構わないと私決心したんです。その決心を私は話したんですよ。ところがその間、いわば躊躇される。疑われた。迷われたんです。そしてあの手この手を打って、どうでもいけんから今日の所やってきた。その時にはもう私はいけないと私は。こりゃ古賀先生の場合でも同じ事がいえますよ。あの信心のね、機微というのはそこなんです。これはお互いそうなんですよ。
おかげを受ける機微というとか、おかげを受けるというのは、いざしらずだけれども十二分の徳をうけようと思えばとこう仰るでしょうが。十二分の徳を受けようと思えば、ままよという心になれよと。ままよとは、死んでもままよの事ぞと仰るじゃないですか。どうしてそれから10日もほうたがらしとるですかと。帰りの旅費だけ私持たせてから、あれこれ迷いますなって。いいえいいえそんなって。
御本部参拝しようと思ってから昨日から御本部参拝を歩いて参るつもりで、御本部参拝に発ち、福間まで歩いていったけれども途中で考えを変えて、帰りにその末永さんの所によらして頂いて、そして今日はここに末永先生がここへみ見えとったからその話をいろいろ聞かれてから夕方腹が決まってここにきちょるという訳なんです。だからあなたが決まった信心ってもう私は・?と。信心ってそんなもんですよねえ。
今朝から私は御理解を聞いてもらったんです。教祖の神様がです、61歳のお年に天地の親神様からお前が生まれた時から子供の時からまたお前の事を聞きかじっておる事。聞き覚えている事。自分で覚えておる限り、お前の事を全部記録に残しておけとお知らせを頂かれた。あれが今の金光大神ですねえ。御伝記がそれなんです。いわゆるお道のそれがもうそれが聖典に現在なっておる訳なんです。
せきららにつぶさに【 】その事をお取り次ぎの合間、合間に又は夜遅うまでそのことを、いわゆる書かれたたという事でございますねえ。ちょうど42歳の大患、あの所を書かれた時にです。筆をおかれて感激しておられるですねえ。嬉しいやら悲しいやらここまで書いてまいりましたらです、どうしてこの様な事ができたであろうかと思うたら、おのずと悲しゅううあいなりそうろう>と書いておられる。
すとそれを間髪をいれず天地の神様がです。それは、金光大神が悲しいのではなし天地の神が悲しいのだという事をいうておられる。ここでの悲しいという事は、その涙が出るほどのほうれしいというより、もういっちょ深刻なもんなのですねえ。嬉しいやら悲しいやらどうしてこの様な事ができたであろうかと思うたらです【・・・?】感涙にむせんでおられる訳なんです。
桜井先生ここのところがどうしてこの様な事ができたであろうかという様な事がどこから生まれた事だと思うですか。天地の神様を忘れない事が道が開けてきた。教祖の神様としてもそれをどうしてこの様な事ができたであろうかというような事ができてきた。これはねえ教祖の親神様の天地の神様の信じ信じられる中から生まれたのですよと私申しました。例えば私とあなたがです。私はあなたをいよいよ私を私の事をです。
もう例えば親教会よりも私の事をとって下さる程にあなたが、信じて下さると思ったから、私はこれだけは誰にも明かせられない事を、あなたに明かしてから、そしてあなたに決心を求めたにもかかわらず、私はそれをいわばあしげにされた様な感じがする。そこからです。桜井先生と私の信じ信られるそこからどうしてこの様な事ができたであろうかというおかげを実は、私期待しておったんです。
これは古賀先生の場合にも言えれるんですよと。もう一遍帰って信心をやり直して下さい。そして又それがどういうお試しを受けるかわかりませんけれども、それを私はたまたま又合格されてそしてまた、あなたがここにもどったときに私の心とピタッと合うものがあったら又私考えさせて頂くというて帰した事なんです。例えばここの御造営の場合でも同じ事。今の椛目の状態の中からです。
あのようなものが本当にもし完成するとしたならです。教団のあの全体が、一生懸命にならして頂いてあの会堂のご造営ができた時、あれがそのどういう一心でもです、寄進勧化がなかったという事がそれを聞いてからそれがし事実であるならば、これは世紀の奇跡だと外国の新聞宗教記者がそれを見たという事です。それが事実であるとするならばです、これは、世紀の奇跡だっといったそうです。
けれどもそれよりももっと奇跡だと思います。椛目の場合なんか。どうですか。精一杯つめた所で100人じゃないですか。あの中に親子も混じって、夫婦も混じってその100人なんですよ。そしてあそこで計画されておる様な3000万近くからのです。皆さんでいわば信仰・・?するならばです。これは、世紀の奇跡だといわなければなおられません。そういう様な事がです。ね、
身内をはじめ幹部総代信者一同がです。いわゆる一人一人がです。もう親先生が祈っておいで下さってるんだからできん事はない。自分たちの・・?はずがないと、そこに信じ信じられるところからです。私は、そういう様などうしてこの様な物がこの様な事がでたであろうかというようなおかげが頂ける事が私確信いたします。けれども途中で難儀が困難が、待ち構えているか分かりません。
時にです。・・?色々言うてからほかの事を考える様な事では、桜井先生じゃないですけれどももうそこに神様と交流する道が断たれるです。よくよく私腹を決めてかかる。いわば信じ信じられるという事の中から私、今朝の御理解を頂いてそう思った。ははぁ、あいよかけよというのではですねえ。こういう事だなって思うたです。信じ信じられる事の中からです、行われる所のいうならあいよかけよであるという事ですね。
だから皆さんもです。本当に家内を信じたいと思う。家のお父さんを信じたいと思う。子供を信じたいと思う。兄弟を信じたいと思う。けども信じられない事がある。信じれる程有難い事はない。そういう場合です、例えば皆さんがです。私が申しました様にです。それなら私を信じなさいと。あなたがたは、私を信じる。これだけですけども実際は、そんな簡単にはいかんのです。私は信じてもらいたいと思うならです、どうも家の総代達は信じられないと、と言う前にです。
私自身が信じられる私になる事に焦点をおかなければならないという事なんです。そうじゃないです、私自身が家内から、信者から、総代の一人一人から信じられる親先生であり、先生であるというおかげを私自身が頂かなければです。本当の事じゃないのじゃないかとこう思うのですねえ。そこに信じ信じられる有難さというか、教祖の神様に天地の神様の中にとりかわされておるところの嬉しいやら悲しいやらどうしてこのような事ができたであろうかと思うたら教祖の神様がご出筆中の半ばにです。
筆をおいて感涙にむせんでおるような事柄に段々事柄がおかげを頂いて来るんだというふうに思うですね。信じ信じられる中から生まれる。それを私はお道でいうあいよかけよの働きというものが現れてくるというならそこから現れて来るのが本当の意味でのあいよかけよとのおかげと私思うのです。どうぞひとつ皆さんどうぞお願致しますというだけではなくてです、まず皆さん自身なら皆さん自身がです、信じられる皆さんになられる事。私は、私自身が皆さんから信じられる私になる事に精進する以外ないと思うのです。 おかげ頂きました。